精神的満足感は最後にやってくる|永続的な幸福感を得るための秘訣なり!

この記事をかいた人

伊藤幸子

森の中でリスや野鳥に囲まれて文筆活動に従事。翻訳の世界から創作の世界へ転向して20年。 日本の伝統文化や精神世界、健康や電子出版など、幅広いカテゴリーのライティングに取り組みながら、自然との共存共生をテーマに命のつながりにフォーカスしたファンタジー小説を執筆中。 愛犬家。


仏教では、幸福を3段階にわけて考えることができるといわれています。

物質的な面での幸福から精神的な面での幸福、

そして仏陀の智慧によって得られる「悟り」という

最高の幸福へと3段階で進化していくという考え方です。

 

実は、満足感も、物質的満足感から精神的満足感へと

進化していくものだと考えることができます。

 

そこでこの記事では、仏教における幸福の進化論を取り上げて、

精神的満足感と幸福について考察していきたいと思います。

 

人が満足を感じるときとは?

満足感とは、欲求や望みが満たされたときに得られるものだといわれています。

つまり、満足感は人それぞれ。

ずっと欲しかったものを手に入れたときに満足感を覚える人もいれば、

今までの努力が実を結んだときに満足感が得られるという人もいます。

中には、特に欲求や望みなど何もなくても、家族の笑顔を見るだけで満足だ、

という人もいるでしょう。

 

このように、わたしたちは、物理的に満たされたときや精神的に満たされたときに満足感を覚えます。

ここでは、この2種類の満足感について具体的な例を挙げて考えてみます。

 

衣食住が満たされたときvs心が満たされたとき

物理的に満たされたときに得られる満足感のことを、

「物理的満足感」や「物質的満足感」と呼びます。

経済的に満たされたときに得られる満足感もここに入ります。

 

例えば、念願のマイホームを手に入れることができたときや、

中古車から憧れの新車に乗り換えることができたとき、

昇格が決まりお給料が上がったときなど、

わたしたちは、大きな喜びと共に満足感を覚えます。

なぜならば、生活の質をあげていくことが可能になるからです。

 

わたしたちの生活には、衣食住が必要不可欠です。

そのためにも、物理的に恵まれていたいと願うのは当然のこと。

しかし、ここで大切なのは、足るを知ることです。

 

人間、他者との比較や競争にとらわれて、

分相応以上のレベルを求めてしまうと、

満足感どころか、あれも欲しいこれも欲しいという欲望に支配されるようになります。

そして、それが手に入らない限り苦しみつづけることになるのです。

 

次に、物理的な価値観から一段階進化した精神的価値観に目を向けて、

もうひとつの、心が満たされたときに得られる満足感、

「精神的満足感」について考えてみましょう。

 

この精神的満足感は、さらに2段階に分けて考えることができます。

①学業や仕事、ボランティア活動などで人に認められた場合に「ああ、よかった」と心が満たされて得られる満足感

 

この場合も、さらに人に認められたい、といった思いが生じて、それが執着になり苦しみをもたらすことがあります。

②見返りを求めない無私の心で行動できた場合に得られる喜びに満ちた思い

 

①のように「人に認められる」ことは見返りです。

このように見返りを求めることなく、愛の思いで何かすることができたとき、

例えば、だれも見ていなくても、困っている人を目にして助けてあげたときなど、

わたしたちは何だかよい気分になります。

この気分が、人の役に立てたことに対する喜び、つまり精神的満足感なのです。

 

人が幸福を感じるときとは?

わたしたちは、理想のマイホームを手に入れたときも、

手作り弁当を愛する家族がおいしそうに食べてくれる姿を見たときも幸せを感じます。

丹精込めて育てたバラが美しく咲いたときも、頑張って育ててよかったという満足感と幸福感に包まれます。

 

つまり、人間は、物理的満足感を得たときも、

見返りを求めない精神的満足感を得たときも幸福感を覚えるということです。

 

では幸福感と満足感は同じなのでしょうか?

幸福感も満足感と同じように進化していくものなのでしょうか?

これについて、「仏教における三段階の幸福感」を取り上げて考察していきましょう。

 

仏教における三段階の幸福感

仏教では、幸福の概念を以下のように三段階のレベルにわけてとらえています。

①物理的レベルの幸福

物質的あるいは肉体的な喜びでもたらされる幸福感。

外的要因によって生まれるその場限りの幸福感で、最もレベルの低い幸福とされています。

しかも、相対的価値に基づいているために、

相手が変わる度に揺らいでしまう一時的な幸福感だといえます。

例えば、好きな趣味やスポーツに打ち込んでいるとき、

美味しいものを食べているとき、恋人と一緒にいるとき、

新居や新車や貴金属など欲しかったものが手に入ったとき、など。

 

仏教では、ある程度の物理的幸福は、

生活の質を向上させていく上で必要ではあっても、

それを超えて求めることで執着が生じるだけでなく、

他者との争いを引き起こしたりするので、

必要が満たされたら次のレベルの幸福を求めることをすすめています。

 

このことからも、物理的満足感はこのレベルにほぼ該当すると考えてよいでしょう。

 

②精神的レベルの幸福

物質的または肉体的なものに依存する幸福から脱却し、

個人の心の持ち様に応じて進化していく精神的な幸福感。

 

仏教では、このレベルの幸福感は、

自分の利益を追求するための欲求を満たすことで得られるものではなく、

自分をより向上させるために学んだり、

他者に与えたり社会に貢献することで得られる幸福感だとしています。

結果や報酬にもとらわれたりしません。

 

例えば、家族のために食事の世話をしているとき、

ボランティア活動をしているとき、病人の介護をしているとき、など。

 

ただ、このレベルの幸福感は、

より崇高な精神で活動すべきだといった義務感にとらわれたり、

他者からもっと認められたいと思ったり、

他者へも同じような考え方を期待することが執着になり

苦を生み出すことがあるため、

より高いレベルの幸福感を得て、あらゆる苦から解放されるよう、導いています。

 

第一段階の精神的満足感がこのレベルにほぼ該当すると考えてよさそうですね。

 

③智慧レベルの幸福

仏教でいう「悟り」を得た幸福感。あらゆる欲求・執着・苦から解放されて得られる幸福感です。

仏教では、このレベルの幸福感は、生老病死や愛別離苦など、

宇宙の理に目覚め、煩悩を捨て去って生きることで得られるとしています。

 

このレベルの幸福を手に入れるための道のりは遥か遠く、

なかなか手が届きそうにはありませんが、自他共に愛し慈しみ、見返りを求めず結果を求めず、

他者の喜びや幸福を自分のことのように思って生きていれば、

その幸福感は絶対的で永続的なものになるということです。

 

第一段階と第二段階の精神的満足感がこのレベルの前半に一部重なりそうです。

 

日常に落とし込むための方法

では、わたしたちは日々の生活でどういったことを心がければよいのでしょうか。

 

無駄に反応しない

一つ目は”無駄に反応しない”ように心がけることです。

ある仏教の書籍では、「苦しみを減らし、幸せに生きるためにもっとも大事なものが平常心」と言っています。

平常心とは、何事にも揺れ動かない心のことですが、まさしく言うは易く行うは難しです。

 

心は常に何かに反応します。目に映るものや人の言葉など、

ことに、今の世の中は、テレビやSNSなど、

あらゆるところから膨大な量の情報が流れ込んできて、

わたしたちの「欲」を掻き立てています。

その都度、わたしたちの心は反応し、「あれが欲しい」、「あそこへ行きたい」、

「あれを食べたい」といった欲に苦しめられているのです。

 

仏教では、この「反応しつづける」心の性質のことを「執着」と呼び、

これが苦をもたらしているのだと言っています。

 

したがって、見るもの聞くもの読むものに無駄に反応しないこと。

これが心穏やかに、今あるがままの状態に満足して楽しむための第一の秘訣だと言えます。

 

不用意に妄想しない

二つ目は、不用意に”妄想をしない”訓練をするということです。

 

わたしたちは、いろいろな願望を抱いて生きています。

犬が飼える庭付きの家に住みたい、もっといい仕事をして上司に認められたい、

子供をあの学校へ入れたい、など…。

わたしたちはみんな、日々、そういった望みを実現させるために

頑張っていると言っても過言ではありません。

 

しかし、現実の世の中を見てみると、この貯金では一戸建ては買えない、

仕事がうまくいかない、今の子供の成績では希望の学校へは入れない…、

などの悩みで頭の中がいっぱいで自分は不幸だと思ったり、

何か満たされなくて心の中がモヤモヤしている人がたくさんいます。

 

これは、実は、余計なことを考えてしまう「無駄な思考」に原因があるのです。

「ああ、わたしは、もっとお金持ちと結婚すべきだった」、

「わたしは何をしてもうまくいかないんだ」、

「〇〇さんのところのお子さんは優秀で絶対にあの学校に入れるだろうに、うちの子は…」などと、

ネガティブで生産性のない無駄な思考に囚われてしまうからなのです。

仏教では、この無駄な思考のことを「妄想」と呼びます。

 

こういったネガティブな妄想に囚われてしまったら、

頭の中の「妄想している」状態をストップさせましょう。

 

そのためには、常に自分の心の状態を観察していることが必要になりますが、

「あ、これ、無駄な思考だ」とか「妄想だ」と気づいたら、

すぐに肯定的な思考にスイッチして、今抱いている考えや思いをリセットすることです。

例えば、「今あるがままを受け入れて、できることからやっていこう」といった、

建設的なプラス思考にリセットすればいいのです。

 

僧侶で興道の里代表の草薙龍瞬氏は、著書の『反応しない練習』(角川書店)の中で、

こういうときは、「心を感覚にシフトさせる」方法や

言葉抜きの練習」をすすめています。

興味のある方は読んでみられてはいかがでしょうか。

 

本当に満ち足りて幸福になるために

心が満ち足りたとき、わたしたちは幸福感を抱くことができます。

しかし、物理的なもので得られる満足感が呼ぶのは、一時的な物理的レベルの幸福感です。

 

これに対して、見返りを求めない精神的満足感は、精神的レベル、

さらには、智慧レベルの幸福感につながります。

つまり、永続的な幸福感を得られるようになるのです。

 

モノに溢れた今の世の中で、精神的満足感よりも

物理的満足感を満たすことに四苦八苦しているわたしたち、

知らず知らずの間に苦しみを抱えて本当の幸福からどんどん遠のいているのかもしれません。

 

<情報元>
朝日新聞出版 最新刊行物:新書:「平常心のレッスン」(小池 龍之介 著)
https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=13106

【疲れた心に】インドで出家した僧侶が教える「ムダな反応」の止め方
https://next.rikunabi.com/journal/20160131/

心が強い人は「ムダな考え」を消している要らない「妄想」をなくす方法教えます
https://toyokeizai.net/articles/-/123127

「反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」」(草薙龍瞬 著)(KADOKAWA 発行)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321501000178/

 

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