サイゼリヤと北斎に見るサステイナブルな思考とは

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サイゼリヤは創業から50年、日本においてトップを走り続けるイタリアン外食チェーン。

客層も幅広く、一度は食べたことがあるという方も多いのではないでしょうか。

でも味の感想を聞かれたらどうでしょう。きっと、多くの人がこう答えると思います。

「普通においしい」

 

実はこれが、サイゼリヤが「飽きられることなく」未だ外食産業の

トップを走り続ける最大の理由かもしれません。

 

日本画の世界でも同じように長きにわたって愛されている作家が葛飾北斎の浮世絵。

サイゼリヤと北斎ではジャンルが違いますが、両者が長く愛される理由には

意外な共通点があるようです。

 

今回はサイゼリヤの経営哲学、そして葛飾北斎の絵に隠された秘密を解き明かしながら、

「人は何に飽きるのか」「興味関心を持続するにはどうすれば良いか」を

考えていきたいと思います。

 

 

なぜサイゼリヤのメニューは「飽きないのか」

2020年時点で全国に1000店舗以上を展開しているサイゼリヤですが、

よく考えてみるとメニューの内容はどれも馴染深いもので、

どこか素朴で、普通においしい。

単品では少し物足りないので、他のメニューと組み合わせたくなる。

そんな味ですよね。

 

サイゼリヤの「おいしさ」の概念とは

世の中には何万円もするような、霜降り肉のステーキや濃厚なフォアグラなどを

メインとしたコース料理もあります。

こうした「おいしさ」もひとつの定義ではありますが、サイゼリヤの「おいしさ」は、

それとは少し違った観点と言えるでしょう。

 

サイゼリヤのメニュー表を見ると、パスタやピザのページに「シンプルな具材」

「シンプルなおいしさ」と明記されています。

これはサイゼリヤのメニュー開発の基本とされている、いわば経営哲学と言えるものです。

 

サイゼリヤのメニューは、色々な食材や調味料を混ぜたような凝った味付けではありません。

オリーブオイルやチーズなどの基本素材は本場から取り寄せるなど手をかけていますが、

味付けに関してはシンプルで控えめな味を意識したものです。

 

もうひとつ注目したいのは、サイゼリヤにはセットメニューがありません。

全て単品メニューで構成されており、スープやサラダ、パンなどが欲しい時は

追加で注文するようになっています。

実はこれもサイゼリヤが強く打ち出しているコンセプトのひとつです。

 

サイゼリヤは、利用客それぞれが個々の好みや空腹具合によって

自由にカスタマイズできるメニューを目指しています。

チーズや半熟卵などトッピング用のメニューも用意しているほか、

そもそもトッピングすることを前提にした「具なしパスタ(アーリオ・オーリオ)」

というメニューもあります。

 

この点でも、高級フレンチのようなフォーマットとして決められた「おいしさ」の

概念とは大きく異なると言えるでしょう。

 

洗練された「余白」が「飽きない」につながる

シンプルで控えめな味、他のメニューと組み合わせて楽しむ。

これは普段家庭で行う食事に似ているとも言えます。

 

焚きたての白米はシンプルながらも和食のごちそうです。

白米を基本として、納豆や明太子など冷蔵庫にあるものをおかずにしてサッと済ませるもよし。

がっつり食べたい時には肉や魚などを追加してボリュームアップ。

 

サイゼリヤでは、このような「日常的かつ自由な食習慣」を

イタリアンで提供することに成功していると言えます。

素材にこだわりつつシンプルで不完全、いわば「余白」を残した味わいのメニューは

日常的な安心感を生み、物足りない時には試行錯誤する楽しみもある。

 

「余白」「想像力」「試行錯誤」、こうした要素が、サイゼリヤが長きに渡って、

顧客を維持し続ける大きな理由だと考えられます。

 

葛飾北斎の浮世絵にも感じる「余白」による充足

サイゼリヤと同じような「余白」による充足感は、かの葛飾北斎の浮世絵にも

見ることができます。

「葛飾北斎」の絵は、1867年のパリ万国博覧会で海外に発表された時、

その独特な構図と色彩に世界が驚いたそう。

 

「冨嶽三十六景 甲州三坂水面」を例にすると、富士山の背景は描き込みが一切ない

シンプルな「空」のみで、全体の色合いも非常に単純です。

つまり「余白」を多用した構図になっているというわけ。

余白は一歩間違えれば「手抜き」とも言われかねません。

しかし洗練された「余白」は受け手の想像を生み、意義のある余白になります。

 

絵は食べ物のように追加メニューで余白を補うことは難しいですが、

「そこ(余白)に何があるのだろう」と考えることで、受け手の想像力の数だけ

無限とも言える答えが生まれます。

これも余白から生まれる「想像力」「試行錯誤」と言えるでしょう。

 

こうした要素があるからこそ、北斎の浮世絵は江戸時代から現代まで、150年以上にも

渡って愛され続けているのではないでしょうか。

 

遊びや余白を大切にして「飽きない」人生を

サイゼリヤのビジネスモデルや北斎の絵を例に、「飽きない」ために必要な要素を

ご紹介してきました。

物資的には困らない現代で、完璧とも言える社会の中で精神が満たされないのは、

もしかするとその「詰め込まれた完璧さ」がマイナス要因になっているのかも。

 

足し算や完璧さの充足よりも、引き算や遊び心による充足のほうが、

得るものは大きいのかもしれません。

 

<参考文献>
サイゼリヤの哲学

サイゼリヤ メニュー情報

な、なんだこの絵は!葛飾北斎がマネやゴッホ、世界の芸術家たちを熱狂させた理由(和樂)

飽きを感じる感性のモデル化による研究

仕掛けのWearIN/OUT効果について

消費者の飽きとブランド間の影響を考慮したブランド選択モデル


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